10th Sign
You still smile.(きみは尚も微笑むのです)







朝の柔らかな光で彼は目覚めた。何か忘れ物をしたような気がしてあたりを見回す。いつもと変わらない、殺伐とした叫びの屋敷。けれどそこに流れる空気はいつもの朝よりもずっと暖かかった。自分の手を見てみて、全く怪我を負っていないことに首をかしげる。なんでかな。その理由もだけれど、何か、大切なものを、忘れた気がする。





−−−−−





「リーマス!」


いつもと同じように重い体を引きずって寮に戻ると、いつもと異なる迎えがあった。ジェームズとシリウスが談話室のソファから立ち上がって近づいてきたのだ。ぼんやりとした頭のままでそれに頷き、それから首をかしげた。


「あれ?何で起きてるの?」
「なんでって…」
「お前、寝ぼけてんじゃねえの」
「…そっ、そうかもしれない」
「昨日のこと覚えてるかい?リーマス」
「つうか、は?」





その言葉を聞いたとたんに何かが頭の中をひらめくようなものすごく強烈な感覚があった。昨日の夜に起きた多くのことを即座に思い出す。気がつくとシリウスに掴みかかってその肩を大きく揺らしていた。


「っ、は!?どこ!?」
「はあ!?俺が聞きてえよ」
「リーマスと一緒に残ったじゃないか!」
「居ないんだ、どこにも居ない!!」


困った顔のシリウスから手を離すと、リーマスはぐるぐるとあたりを見回した。いつも彼女がゆるく微笑んで立っていた窓辺にふと目をとめて、穴があくほど見つめた。どこにも彼女はいなくて、気配すらなくて、彼女がいたことすら夢のように思えて。リーマスは呆然とした顔で窓辺を見つめていたが、ふと、小さく声を上げる。


「ジェームズ、シリウス」
「何」
「おう」
「ちょっと、1人に、してもらっていいかな」


2人が頷いて階段を上っていくのを、その方向は見ずに気配だけで感じた。やっとの思いで声を出し、ごめん、ありがとう、と言う。シリウスの、気にすんな、といいう声が少し遠くに聞こえた。


目を閉じて息を吐いてから、彼女と良く並んで空を見上げていた窓辺に近寄った。外は夜明け前。水平線の向こう側だけがうっすらと明るくて、空はブルーグレーに染まっていた。が見たらきっと綺麗だと微笑むだろう、そんなことを思うと泣きそうになった。



ただなんとなく、直感的に分かってしまったんだ。あのやさしい幽霊はもう、居ない。



最後に覚えているのは、わたしがずっとここにいると、そうがはっきりと告げたことだった。彼女に触れることなんてできなかったから、体温なんてあったかどうかわからない。けれど彼女が傍にいると何故だかとても暖かかった。そんな気がした。

は昨日、「今日はわたしがずっとここにいる」と、そう言った。それに自分は頷いたけれど、本当はもっとずっと飽きるくらい一緒にいてほしかった。そんなの最初から思っていたことだったのに、どうして一度も口に出さなかったんだろう。そう言ったら彼女は今もここにいてくれたのだろうか。




出口の見えない思考に陥りそうになっていた時、うしろから控えめに声がかかった。


「リーマス?」


振り向くとジェームズとシリウスが複雑な顔をして立っていた。リーマスはそれに微笑みかける。もう平気だよ、とその笑みに込めたつもりでいた。本当は全然平気ではなかったけれど。


「あー…僕たち昨日これをに、預かってて。明日渡してって、言われてた」


そう言ってジェームズが取り出したのは、どこからどう見ても手紙だった。が書けるはずがないのに。そうリーマスが怪訝そうな顔をしているのに気付いたのか、シリウスが即座に説明した。


「自動速記羽根ペンでさ。あいつ、声だけなら聞こえただろ」
「僕たちさ、君のことに気づいてたんだ。毎月いなくなるから、何となくさ」
「それを調べ回ってたらあいつに見つかって、黙っててほしかったら協力しろ、って言われて、それ貸してやって、内容見ないようにすっげえ気を使って封をしてやって、あれはなかなか大変だった」
「まあでもそのあたりも僕たちに似てきたよねー」


ジェームズはへらへらと笑ってそう言ったけれど、すごく寂しそうな顔をしていた。でもきっと僕が一番ひどい顔をしているから、気を使っているんだろうと思う。ありがとね、と笑って見せてから、受け取った封筒を裏返した。『リーマス・J・ルーピン様へ』。自動速記羽ペンの無機質な文字ですら愛しく思えるから、不思議なものだ。リーマスは泣きそうな顔で微笑んで封を開ける。




”親愛なる、リーマスへ


あなたがこれを見ているときに、わたしはもう居ないかもしれません。そんな気がするだけなのだけれど。
えっと、何から話そうかなあ…あ、これも速記しちゃうんだ。うーん。わたしが一番思っていたこと、覚えていますか?「心配」でした。わたしはいつもどこか悲しそうなあなたのことが初めからずっと心配だったんです。そうそうその前に、わたしがあなたに…食べられてしまったこと、思いだしましたか?わたしを見るあなたの目が最近すごく辛そうだったので、もしかしたら思い出したのかなあって、思います。
わたしがそのことを思い出したのは、あなたがジェームズとシリウスに問い詰められて逃げだしたわたしを追いかけてきてくれた時です。わたしはひとりで教室に逃げ込んで、どうして自分がこんなところにいるのかを考えました。もういらないのに、って感じました。リーマスのことをあんなに大切に思ってくれてる友達がいるならわたしはもういらないのに、って感じて、なんでそんな風に感じたんだろうって驚きました。それからすぐにはっと、思いだしたの。わたしはあなたに食べられてしまって、そしてその時にわたしを見ていたあなたの目がとても孤独で、悲しそうで、辛そうだったから、あなたのことが心配になってしまってこんなところまで来てしまったんだって、思い出しました。お人好しにもほどがあるって、シリウスあたりには言われそうだね。でも本当のことだから、仕方ないの。
あ、あなたに食べられてしまったんだってことを思い出したときは、それは少しはびっくりしました。でも不思議と、恨めしく思ったりしなかったの。だってあなたは本当はとても優しい人だって、分かっていたから。記憶を失って寂しい思いをしていたわたしをすごく心配してくれていたこと、知ってました。いつもあなたが昼間は誰とも話せないわたしと話すためだけに夜更かししてくれていたことがとても嬉しかった。そのせいでシリウスとジェームズには心配かけちゃったけれどね。
そんな優しいあなたが、自分が人狼だということをとっても後ろめたく感じて悲しい思いをしていることが心配だったから、それをわたしが少しでも和らげることができたなら、ここに来た甲斐もあったよね。
なんて、そんなの今はもう言い訳な気がします。…わたしに図書室で、「今一番思っていること」を聞いた時のこと、覚えてますか?もう、覚えていないかもしれないね。わたしはすごく慌ててしまったんだけれど、だってその時にはもう、あなたへの心配よりももっとずっと思っていることが、あったから。
ああ、何だか長くなっちゃった。ジェームズとシリウスを待たせちゃってて、悪いなあ。
でももう少し。もうあなたのことは心配してないけれど、でも本当は、もっとずっとあなたと一緒にいたかった。シリウスと、ジェームズとも。アングレカムの花言葉を聞いた時、わたしの願いがどこかに届いたような気になりました。そんなこと無かったんだけどね。わたしはもう、あなたの傍にいる理由をなくしてしまいました。ただ今は、わたしの勝手な望みで出来るだけ長く傍にいたいと思ってそうしているだけです。でも、きっともう、長くない気がするの。わたしがいなくなる前にジェームズとシリウスにあなたが本当のことを言える手伝いが出来るかも知れないと思ってます。明日は満月だもの。2人は本当に真剣にあなたのことを考えて、すごく色々と調べていました。やっぱり、わたしはいらないなあって思ったけれど、でも、それでもわたしはあなたがそんな風に想われていることで幸せを感じられます。
あはは、後回しにしちゃった…。わたしが今一番思っていること、これから言おうと思います。わたしはきっといなくなるけれど、だからわたしの想いも一緒になくなってしまった方が良いのかもしれないけれど、でもあなたにはほんの少しだけで良いから覚えていてほしいです。我が侭なことをしてごめんね。

リーマス、あなたがすきです。


愛をこめて、より”





「…僕も、同じ気持ちだよ」
「リーマス?」


小さくつぶやいた声に、シリウスが心配そうにたずねた。リーマスは首を振って、なんでもないよ、と答える。


「ラブレターなんだろ?僕のには負けるだろうけどね」
「ああ、お前のには誰も勝てない。もちろん悪い意味で言ってるからな」
「いや、の方が良いよ。ジェームズのはキモいから」
「キモくないぞ★」
「その返答がまずキモイしお前のそういう返しには飽きた」
「僕さ、ちょっとこれしまってくる」
「…分かった」
「おう」





−−−−−





部屋に戻って、机の引出しのいつでも出して見れるところにからの最初で最後の手紙を丁寧にしまった。引き出しを閉めて、それからすぐに開ける。変わらない位置にそれがあることに妙に安堵した。彼女のいない、ある意味今までと同じ世界は妙にひんやりとしていたけれど、だからといって彼女が自分に与えてくれたものがなくなるわけじゃないと思う。もちろん頭で分かっているからといって、平気なわけではないけれど。それでも、は僕が無理しないでも笑っていることを望んでこんなところまで会いに来てくれたんだから。


、きみがすきだよ」


彼は、彼だけのやさしい幽霊がくれた喪失感と暖かなものを想って、少しだけ泣いた。


喪ってもなお、きみはぼくの中で、ほほえんでいる








(071004 end)