帰郷--home--












それは確か生暖かい5月のことだった。
あたしは何もすることが無かったので、(正確にはそう思い込んでいただけだったが)柵に座っていた。

その柵はあたしの家の周りをもう長い間取り囲んでいるもので、既にかなりぼろぼろだった。
よく父さんに柵に寄りかかるなと言われたものだ。しかし気にするほど重要な事でもなかった。
なのでその日もあたしは柵に寄りかかるどころか柵の上に座って彼が来るのを見たのだった。
そしてそれが、あたしが柵に座った最後の日だった。どうでもいいことだが。








◆◆◆








「やあ」


その綺麗な男は言った。今のはあたしに向かって言ったのだろうか。周りを見回すが他に誰も見当たらない。
とりあえず小さな声で、こんにちわ、と返してみた。彼は満足そうに、にこりと笑った。
やけに色が白くて綺麗な顔に真っ黒な髪。少々気味悪いと思いつつしばらく見とれてしまう。

彼はやはり満足そうに微笑んだままだ。一体何をしているんだろうか。道にでも迷ったのか。


「道に迷ったわけじゃないんだけど」


何で分かったんだろう。目を見開いた。すると男は心底おかしそうにくつくつと笑った。


「別に君の考えた事が分かったわけじゃないよ」
「え、あ、はぁ・・」
「こんな時に考えるのはみんな似たようなものだから」
「そうですか」


最後の男の台詞にはちょっとムカついた。どうにも態度がでかいと言うかやけに見下されているような気がする。
とにかく用が無いならさっさと行って欲しいものだ。間が持たない。やけに落ち着かれてもこっちは困る。
この村の住人じゃない事は明らかだから(こんな美人は居ない)、きっと通りすがりの人だろう。それとも、


「地主さんに用事でもあるんですか」
「地主さん?」
「向こうの丘の上の屋敷に住んでいますよ」
「偉い人なんだ?」
「ええ、まあ」
「大きな屋敷だね」
「そうですね。あまり近づいたことは無いですけど」
「どうして?」
「どうしてって・・」


それこそどうしてあなたみたいな通りすがりの人にそんな事を話さないといけないんでしょうね。
そう言いたかったが飲み込んで、大きすぎて怖いんですよ、と答えた。我ながら意味不明だ。
男は何故かどことなく納得したように頷いている。頭悪いんじゃないのか。


「大きすぎるものは人間に恐怖を与えるからね」
「はあ」


何だこの人。宗教関連の勧誘か何かなんだろうか。もしそうだとしたら神は大きすぎて怖いと言って断ろう。
どうでもいいけどそれならそれでさっさと話を進めて欲しい。男は感慨深げに屋敷を眺めている。
あたしはそんなに深い台詞を言っただろうか。普通は意味がよく分からないと思うが。
宗教関連には全く興味がありませんと言おうかと本気で思うと、男はこちらをまっすぐ見た。
その視線に少したじろぐ。こういう人は妄信的な感じがして怖い。早く行ってくれないだろうか。



「あの丘の上の人」
「は、はあ」
「どう思う?」
「・・どうと言われても」
「僕は唯の通りすがりだから正直に教えてくれて構わないんだけど」
「教える義理が無いんですけど」


もういい加減限界だ。すっぱりと答えると男はやや意外そうに眉を上げた。やっと人間っぽい表情が出てきた。
しかしそれもどうでも良いことだ。とりあえずさっさとどこかに行ってくれれば良い。
そういう気持ちを込めてじっと見てみたが、男はおかしそうにあははははははと笑った。怖い。


「そうだね。それはそうだ」
「失礼だったかと思いますけど、いい加減何か用件があるならそれをどうぞ」
「べつに用件は無いかな」
「そうですかそれは残念ですさようなら」
「用件は終わったんだよもう」
「お疲れ様でした」
「どうも。君にも喜んでもらえると良いね」
「・・何であたしが喜ぶんですか」



男は少し丘のほうを見詰めながら考えているようだった。しかしまともな返答が帰ってくるわけは無い。
だいいちこ真剣に考えられるような質問では無いと思うのだが。一体どう答えようというのか。
そういえばさっきからやたらと丘の上の人たちに拘っているのに関係があるのだろうか。
もし彼らに減税を命じに着た偉い役人とかだったらそりゃ嬉しいに決まってる。そんな旨い話は無いけど。


「それに答えるならさっきの質問に戻ることになる」
「はあ、そうなんですか」
「きっと喜んでもらえると思うよ」
「ありがとうございます。ではさようなら」
「この村」


人の話聞いてんのかこの野郎。そう思ったのだがまたもやどうにか我慢した。
でも最初に比べて自分の態度はだいぶ悪いと思う。男は気にする様子など全く無い。図太い奴だ。


「綺麗なところだね」
「どうもありがとうございます光栄です」
「初めて来た訳じゃないと思うんだけど、もう覚えてないんだ」
「なるほど小さい時に来たんですね」
「うん。生まれる前」
「・・はあ」


やはりこれは絶対に確実に宗教関連だ。やばい。早急にお引取り願おう。
口を開きかけた瞬間に男に先を越された。基本的にあたしは押しが弱いので一旦は聞くしかない。


「一度きりだ。最初で最後の帰郷だよ」
「・・また来れば良いじゃないですか」
「もう、必要が無いからね」
「そうですか」
「用事は終わったよ。とてもすがすがしい気分」
「それは良いですね」
「うん」


男はとてもとても、良い顔をしていた。満足感でいっぱいだということが見ていて分かるくらいに。
とりあえず曖昧に微笑んで、さっき言おうとしたことを言う。


「それで、お帰りにならないんですか」
「丁寧に見せかけてはっきり言うね」
「・・すいません」
「そうだね。どうでも良いんだよこんな故郷」
「・・はあ」


さっきと言っていることが何だか違う気がする。確か感慨深げに最初で最後の帰郷だとか言ってなかっただろうか。
しかも村人の前でこの村はどうでもいいという当たりやはり虫が好かない奴だ。
それならそれで余計さっさと居なくなってしまった方がお互いのためにベストな選択なのだが。


「じゃあどうしてまだいるんですか?」
「・・・ちょっと満足感に浸ってるんだ」
「ああ、分かりますよ。そんな感じします」
「そう?」
「ええ」
「ふうん。ま、もう十分余韻は楽しんだよ」
「そうですか。ではさようなら」
「こんなことで楽しめる辺り僕もやっぱり人間だなあ」
「・・・」
「君とは違うけどね」
「そうですか、それは仕方ない事です。さようなら」
「確かに仕方ないね」



そう言って男はくるりと踵を返した。突然の出来事に少し驚いた。しかもあまりにあっさりと。
結局、勧誘らしい事は言われなかった。頭がおかしい人なんだろうか。そうは見えないけれど。



「さよなら、明日をお楽しみに。丘の上のリドル一家は嫌いだろう?」



あたしは幾分呆気に取られて男の後姿を見送った。丘の上の屋敷を見る。静まり返っていた。
もう一度男に目を戻す。消えているのではないかと思ったが、普通に歩いていた。
頭のおかしい人なのか、宗教関連の人なのか、それとも、どちらでもないのか。
もう知る術は無い。


あたしはその日から何となく、お気に入りだったぼろぼろの柵に座らなくなった。








◆◆◆






リドル家の人々が全員死んでしまったという知らせをメイドが村中に触れ回ったのは次の晩だった。
犯人扱いされていた庭師の男は、彼らが殺された日に青白い黒髪の男を見たと言っていた。
偶然なのか必然なのか。

もう知る術は無い。


あの日あたしが座っていた柵も、今は朽ち果てている。

























040405(何かもう最初でバレバレで嫌だ。しかも名前変換が一つも無いじゃん)