旋律と冬景色
雪が降って居たと想う。というのも、あたしは非常に寒かった覚えがあるから。
同じ寒いなら唯寒いよりも雪が降っていたほうがロマンティックではないか。
だから取り敢えず、雪が降って居たのだと云う事にして置いて欲しい。
あたしはそんな雪景色の中を黙りこくって彼と立って居た。
しかし何故黙りこくっていたのかは今でも解らないのだ。
何故あの時、あたしは何も謂わなかったのだろうか。
唯黙って雪が舞うのを見詰め、あたしと彼は楽しかったのだろうか。
それはもう与り知らない事だ。彼が楽しかったのなら好いのに。
しかしそれはもう、与り知らない事だ。
彼の発する心地良い音声を聴く事をあたしは非常に好んで居た。
低過ぎず、高過ぎず、あたしは彼の様な声を持ちたいと常々望んでいた。
それを告げると彼は何時も笑ってあたしを諌めたものだ。
あたしは其の度に笑い返して、笑い飛ばせない強い望みだったのだが。
とても楽しかった。とても。
しかし何故かあの時あたしたちは何も謂わずに音も立てずに佇んで居た。
振動の無い空気が耳に突き刺さって痛かったのを、はっきりと憶えている。
雪が降って居たと想う。あたしは其れを、ああふたりきりだと、そう考えて居た気がする。
たとえリリーに頼まれて南瓜を買いに来ただけでも、ふたりきり、だと。
彼はどの様に考えて居たのだろうか。もう与り知らない事だ。
南瓜が重かったので、あたしは其れを彼に持たせて居た。
安っぽいビニル製の商店の袋が南瓜の重さで千切れそうに成っていたはずだ。
思い返してみるとあたしは其れを彼に持たせて居たのではなく、
(何も謂わずに持ったはずだ、あの人は)
千切れそうなビニル袋が其の重みを伝えて、それでも、
(あの人は幸せそうに見得た)
幸せの重みが彼の手に喰い込んで、紅い痕を遺していた。
あたしは今にも千切れてしまいそうだと、其ればかりを気にして居た。
千切れなければ彼の手に紅い痕がより鮮やかに残るのだとあたしは考えたからだ。
口にせずとも、あたしは色々な事を考えて、とても。
彼が楽しかったのならと願うばかりだ。それはもう、与り知らない事だ。
雪が積もっていたと想う。というのも、あたしたちは足跡を残したからだ。
之は確かだと想う。あたしの足跡より彼の足跡の方が深く残り、あたしはそれを微笑ましく感じた。
しかしあの足跡も今と為ってはすっかり消えてしまった事だろう。
もしかしたらあたしたちが通り過ぎれば直に、消えてしまったのかも知れない。
あたしは時折振り返って其れが残っているかどうかを確認したはずだ。
残っていたのかどうかは最早、憶えていない。
誰も居ない田舎道を歩いて、彼の家迄もう半分を過ぎた頃にあたしたちはふと立止まった。
彼の家を田舎だと謂うと何時も彼は笑ってあたしを諌めたものだ。
あたしは其の度に彼を胡乱気な眼で見て鼻で笑った。
とても可笑しかった。とても。
あたしたちはふと立止まって、湖に氷が張っているのを黙って眺めた。
確かあたしの想い違いでなければ、彼が先に立止まったはずだ。
あたしはリリーに南瓜を届けるまで袋が耐えるかどうかばかり気にして居たから。
如何して彼は立止まったのだろうか。
如何して彼は何も謂わなかったのだろうか。
如何してあたしは其の事を尋ねなかったのだろうか。
如何して湖は凍っていたのだろうか。
如何してあたしも彼も其れに見入ってしまったのだろうか。
それら全ては、与り知らない事だ。
あたしたちは黙って暫く其処に立っていた。
それから彼は突然歩き始めて、あたしも黙って其れに続いた。
如何してあたしは彼に何も声を掛けなかったのだろうか。あたしは彼の声を非常に好んで居たのに。
彼の声を聞かぬままあたしはもう半分を歩き切ってしまって居た。
彼も何も謂わなかった。理由など莫かったのかも知れない。
リリーが扉を開けて、優しい声で中で御茶を飲んで行かないかと誘ったが、あたしは頸を振った。
「また、今度ね」
如何してあたしは残らなかったのだろうか。彼は黙って振り返ってあたしをじっと見た。気がした。
彼が何を考えていたのか、あたしには与り知らない事だ。
買い物になんて行かせて御免なさいね、とリリーが謂うのをあたしは微笑んで制した。
彼も微笑んだような気がした。
あたしは手を振って踵を返した。暖かい光が背中から遠ざかって行くのを感じて居た。
さよなら、。と彼が高過ぎず低過ぎない、ああ彼の声で、謂ったのをあたしは聞いた。
雪が降っていたと想う。
ハロウィンの、前日だった。
040117(解り辛い色々と)