==CREAM DAY==
どうしちゃったんだろうか、と。大して良くも無い頭であたしは考えた。どうしちゃったんだろうか。どうし…それを自分に問うことは本当はまったく何の意味も無いわけで、それを先ほどからもいう何度も繰り返していることはまったくの愚行なのだが。んなこたわかってるっつーの。自問自答を繰り返すとだんだん腹が立ってきた。外は快晴。眼が痛いほど青いのは、空だ。あたしの頬は上気する。それは夏が近いからなのか目の前に居る彼の横顔のうつくしさのせいなのか(そして男にうつくしい、という形容詞もどうだろう。)わからないわけだ。
目の前に居るソレは、名前も何もよく知らないがとにかく有名な人だ。あたしは彼の鳶色の髪と曖昧な笑みを、心の隅っこの隅っこの方でひそかに好ましく思っていた。まあその程度の知識だ。名前をいつもよく呼ばれているはずなのに、(ねえねえ×××〜!)(彼は微笑んで、何?と優しく答える。)あたしの記憶からは彼の名だけがひらりと奇麗に剥がれ落ちていた。たぶん、自分は彼の名前を呼んでしまわないようにだろう。
彼はいつも微笑んで、何?と答える。みんなそれを見て勘違いしてしまう。あたしだって多分、してしまう。いや、絶対、してしまう。だからそれを未然に防ごうと思っている。そういう訳であまり関わりたくは無かった。つまりはチキンだということだ。そういうことにしておこう。
「……」
ならもう放置して行くのが一番なのだが。でも。でも、いや何が「でも」だ。そう自分に言い聞かせながらも、あたしはその鳶色の髪と曖昧な微笑を好ましく思っていたわけで、となれば当然、気になるわけだ。彼は死んだ魚のように永遠に横たわって居るかに見えた。まるで海底のように。実はここは廊下なわけだが。ていうか、誰か来るとか思わなかったのかこの人。
(ん?)
(寝てるんだよね?)
(えっ死んでんの?)
(もしかして倒れたとか)
「だ、誰か、」
呼ばなきゃ、と無意味に口走りかけた声を聞いたのかそれともそうではないのか、彼は突然ばちりと眼を開けた。あたしは口を半開きにしたままぽかんとそれを見ていた。そして沈黙。そのうち彼はいつもの様に軽く微笑んで、ああ、寝ちゃってた、とか言うんじゃないかと、あたしは空しい予想を掻き立てていた。半分は期待で、半分は冷めた気持ちで。
そしてその予想は、見事に、裏切られた。
「…ああ…」
「(え)」
ああ、と全く意味を持たない無声語を発してから、彼はまたばたりと倒れてしまったのだ!あたしは慌てた。無闇に。彼は鳶色の髪を散らばらせて死人のように固く眼をつぶっている。その上に柔らかく日差しが注いで居て、一見ただの昼寝のように見えるのだ、やはり。しかし実際には彼は、ああ、とこの世の終わりのように空に息を吐いて倒れたのであって、それをただの昼寝と片付けるのは少し難しい。
(かといってあたしにどうすることもできないきもするが)
(声かけるべきなのかかけないべきなのか)
(どうしよう〜〜)
「…あれ、さん?」
「ひゃ、っ!」
あたしが唸りながら頭を抱えていた間に、彼はあっさりと眼を覚ましてあたしのことを不思議そうな顔で見ていた。ていうかこの状況、さっきまで彼は様子がおかしかったけれど今はもう完全に普通だから、不審者はむしろ、あたしなんじゃないか。不公平と言うかなんと言うか、あたしはどうしてこんなに間が悪いんだろう。
「ごめんなさいすいません」
「え、いや別にそんな」
「邪魔しました!じゃ!」
「あー…」
自分の意味不明な行動があまりに恥ずかしかったのであたしは走り去ってしまった。しばらくしてから気づいたのだがこれを世間ではいわゆる恥の上塗りと言うのではないだろうか。あたしはひとりで落ち込んで、そしてそのあと遠くから彼がいつもの様ににこにこと微笑んでいるのを見て、まあいいか、と思った。彼はきっとこんなあたしのことなんてすぐに忘れているだろう。(なぜならあまり他人に興味が無いから)(否、興味をもたないようにしてるから)(たぶんだけどね)
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「(あー…)」
それから数日たった後のことだ。あたしはまた例の廊下にふらふらと現れていた。もう今日の授業は終わってしまったので、あたしは少し暇だった。そして外は少し暗い。彼は例のごとく、といっても2回目だが、硬い廊下に横たわっていた。もうこれは寝ているだけだろうとあたしははっきり確信することが出来たので、少し離れたところから少し笑ってそれを眺めた。全く、かわいいものだ。いつもはどことなく隙が無いのに。全く。
あたしは彼と自分しか居ないこの状況と深く眠っている彼の横顔に何となくうれしくなってしまって、彼から2メートルくらい離れたところに座った。外からは暖かい光が差し込んでいる。直に浴びたらきっと熱くて痛いだろうけど、窓を1枚隔てたソレはとても優しくて少しクリーム色を帯びていた。あたしは気持ちよく眼を閉じて、それから急いで開けた。彼が眼を覚ましたときにここにいる訳には行かない。どうして?きっと、彼は1人で居たいだろうから、あたしを疎ましく思うだろう、だからだ。疎ましく思われたら死んでしまうだろうと、かなり過激にぼんやりと思った。
ちらりと右隣に眼をやるが、起きそうな気配は無い。あたしは小さな声で言った。わーーー。起きない。鳶色の髪がクリーム色の光を受けてきらきらと透き通って、彼の肌は適度な肌色だった。どうしてこういう美人は日に灼けすぎたり、或いは灼けなさすぎたりすることがないのだろう。あたしは自分の、まあまあ普通だが彼に比べては見劣りがする(当たり前、だ)容姿を思って深くため息をついた。思ったよりも大きな音が出たので自分でも驚いて口を塞ぎ、恐る恐る右を見た。彼は今日はこのあいだよりずっと深い眠りに落ち込んでしまって居るようだ。
「………」
あたしはゆっくりと、とてもゆっくりと這うようなスピードで、いや実際這って彼に少しずつ近づいて行った。気色悪い。そう思ったが、彼の雰囲気をもう少し近くで味わえるならその程度のことはかまわないとはっきり思っていた。彼からは甘い香りが漂っていて、そういえば彼はチョコレートが大好物なのだと、そう思い出してからそれを知っている自分が恥ずかしくなった。あたしのつけている香水はメインノートがバニラで、チョコレートにはなかなか合うんじゃないかと、勝手にうれしくなって声に出さず笑った。
彼の隣1メートルまで近づいて、あたしは廊下の壁に彼と同じように寄りかかって窓を見上げた。柔らかい光が眠気を誘う。でもまああたしは寝るわけにはいかないし、むしろこの場所に彼以外の人が訪れると言うことを彼に悟ってほしくは無かった。ここはただの廊下だったが、何となく人目に付かなくて、柔らかい匂いがした。でもここにあたしなんかが来ることもあると知ったら、きっと彼はここでこういう風に無防備に眠ることも無くなってしまうだろうと、それは、とても悲しいと思った。
悲しいと。
彼が無防備に眠ることが出来なくなってしまうのは、とても…
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「…、」
「?」
「、さん」
「…え」
「さん、起きて」
「え、あ、…!!!」
「わーそんなびっくりしなくても。何もしないから」
「え、あ、」
「?」
「何、あたし寝てたの…!?何ソレ馬鹿か…!?」
「(寝惚けてるのかな)」
「ごめんなさいごめんなさい!もうしません!」
「えっ、いや、そんな」
「あー…ほんと、ごめんね」
「何で?」
「な、何でってー」
何で寝ちゃったんだあたし馬鹿じゃないの。ていうか馬鹿だろ。死にたい死にたい死にたい死んでくれ自分…!あたしがそうパニックに陥って口をぱくぱくさせていると、彼はにっこりと微笑んであたしの頭に手を置いた。あたしは真っ赤になって後ろに後ずさる。彼の手が触れたところが脈打つ気がして、頭が痛くなった。それから今のは失礼だったかもしれないと思いまた慌てた。どうして彼の前だとこんなに慌ててしまうのか、よく分からない。それはきっと彼の柔らかくて甘くて心地よくて、孤独な匂いに由来しているのだろう。
「あ、ごめん…えーとあたし、ちょっと動転しちゃって、気が」
「今のはちょっと傷ついたよ」
「え!」
「冗談。さん、寝惚けてたみたいだね」
「あ、あははそうみたいで」
「よく寝てたから起こしたくなかったんだけど、もうすぐ夕方だし…」
「あ、うんごめん、ありがと」
「良いよ。お礼に魔法薬学の宿題教えてくれたらうれしいけどね」
「え!うん教える教える!」
「ほんと?やった」
彼はいつものように軽いトーンで心地よく言葉をつないで、あたしは口数多くぺらぺらと高揚した気分で喋った。そらモテるよ、とあたしは意味不明なこと思い、それからその考えを慌ててどうでも良い事として打ち消した。彼はいつものように完璧な隙の無い笑みを、完璧な?隙の、無い?
「…」
「どうかしたの?」
「えっと」
もう彼はここに来る事は無いんじゃないかと、無防備な寝顔を誰にも晒さないであの柔らかいクリーム色の光とだけ共に眠る事は無いんじゃないかと、そしてもしそうなったら、あたしのせいだと。あたしは泣きたくなりながらそう反芻した。あたしの勝手な思い込みかもしれないが。彼はただの優しくて明るいプレイボーイかもしれない。何も無理せずにいつも安らかに、そしてそう思えないのはあたしだけで、あたしは彼の事なんか何も知らないし、ただの思い込み。そうなのかもしれない。でも。
「ごめんね…」
「どうして?」
「ここ、君の場所だったのに」
「あはは違うよ。廊下だからね。それにこないだも居たよね、さん」
「あたし本当はすぐ帰ろうと思ったんだけど、余りにも良い感じなとこだから気持ちよくなっちゃって!」
「ああ…別に、寝顔見られても気にしないよ男は」
「じゃなくて…またここに来る?」
「え」
「あ、いや、違くて!あたしはもう来ないから!」
「何だー誘われちゃったかと思ったよ」
「そ、そういうことをにこにこしながら言わない!これだからモテる子は…」
「どうして駄目なの?」
「(心拍数が上がるからですが)いや、まあ、それはともかく」
「あはは」
彼はにこにこと笑い、それはやはりいつものように隙が無くてあたしのことをリラックスさせるために彼が用意してくれているものなんじゃないかと、あたしは邪推してしまうのだ。何も考えて居ない寝顔を奪ってしまったのがあたしだとしたら、どれだけ後悔しても足りない。でももうそろそろ話を終わらせないと迷惑だと思う。彼はそんなこと、言わないだろうが。でもあたしは彼に疎ましく思われたくないのだ、絶対に。もう柔らかい光は差し込んできては居なくて、代わりに夏の夜のしっとりとした夜気が忍び込んで心地よかった。やはりここはステキな場所だ。
「ええとつまり…ここで君がひとりでリラックス出来る時間を奪いたくないので」
「…あー」
「君はひとりの時間も大切にしそうに見えたから」
「そうかな?」
「うーん…あたしの勝手な思い込み」
「…あ、僕は他人に気を遣ってるように見えるの?」
「え、いや、えっと」
「良いよ別に。遣ってるよ」
「いやそれで君は回りのみんなを幸せにしてるからすごく素晴らしいと思います!」
「そんな意気込まなくても」
「でもやっぱね、リラックスも必要かなって…あ、でもあの2人と居る時はリラックスしてるか」
「ジェームズとシリウス?」
「そうその人たち」
「知らないんだ…」
「知ってる!知ってるよかっこいいし」
「社交辞令っぽいなあ…」
「そんなこと無いって!…えーと、そしたら結局わざわざここに来る必要も無いね」
「そうかなあ」
「あたしは…君がくつろげたら良いなって、それであたしが居たら邪魔かなって」
「そんなことないよ」
「そんなことあるよ。でももう来ないから、またここにも来てね」
「…さんは、来ないの?」
「邪魔だし」
「邪魔じゃないよ」
「社交辞令は良いの。ここ独り占めしたいくらいの場所だから」
「そうじゃなくて、さんは僕のこと良く分かってくれてるみたいだし、ほんと」
「いや分かってないから!喋るの初めてでしょ!」
「そうだけど…」
「あたしなんかが言うの変だけど…無理してほしくないなあ」
「…そういうこと言ってくれる人は、少ないから」
「みんなそう思ってるはずだよ」
「そうかなあ」
「そうだよ。君は、すごく優しいから」
「気を遣ってるだけなんでしょ?」
「それは優しいからそうするんだよ」
「…鋭いねえ、何か」
彼はくつくつと笑い、それはやはり隙が無かったがどことなく彼の意地悪さとか頭の良さとかそういうものを感じさせるもので、彼はあの2人の前だといつもこういう笑い方をするんじゃないかと思えた。あたしはとてもうれしくなって、本当に心底うれしくて、もう彼はあたしへの警戒を解いてまたここに来てくれるだろうと思った。もうあたしがそれを見る事は出来なくても、彼がどこかで無防備な寝顔を甘い光に晒している時間があるのなら、それであたしは幸せだ。
「良かった…」
「え?」
「あ、なんでもない!じゃあ、行くよあたしもう」
「一緒に行こうよ。冷たいなあ」
「え!うわこれだからモテる人は」
「何ソレさっきから」
「人の扱いがうまいって事だよ」
「僕、優しいからね」
「あはは」
「そうだねえ…さんだったら、また来ても良いよここ、ほんとに」
「えっ、いやそれは、悪いし」
「ほかの人は駄目だけどさ。ね」
「…うわあ」
「何?またこれだからモテる人はって言いたいの?」
「まあね」
彼は楽しそうに笑い、あたしはその横顔を見ながら、また出来れば彼が寝ているときにこっそりここへ来て彼の甘い寝顔を見るのも、出来れば、良いんじゃないかなあとこっそり思った。もしそう出来なかったとしても、彼がどこかで無防備な寝顔を甘い光に晒している時間があるのなら、それであたしは幸せだ。本当に。そして彼の名前はリーマス・ジョン・ルーピンだと、あたしはもうずっと知っていた事をふと思い出した振りをして、今度はルーピン君と呼んでみたいものだ、と馬鹿みたいに考えるのだ。
050605(尽くしてくれ〜ヒロイン〜(お前…)