BLUE
後ろで突然「あっ」という声がした。高過ぎず、低過ぎない、ステキな声だ。
あたしは振り返って、無表情で、階段の真ん中に立ち止まっている人を見た。
リーマス・J・ルーピンという人だ。や、嘘だ。何がって、「という人」ってところが。
知っている。リーマス・J・ルーピン君だ、あれは。あっちは知らなくても、あたしは知ってる。
あたしが知っているのは、彼の顔と、喋り方と、声、あと表情とか、そのくらいだ。
それでも知っているのだ。あっちは、知らなくても。
あたしは立ち去ろうとした。彼があたしの方を向く前に(ああ、そんなことがあるだろうか?果たして)。
しかし、その前にもう少し近くで見ていたいなぁと変態のような事を思って立ち止まった。
リーマス君は呆然とした顔で固まっている。どうしたのかなぁ、とのんびり思った。
彼がどうしようと、あたしが関われるはずが無いからだ。関係ない。悲しいけど。
立ち止まり、全く必要ない持ち物の整理をしながら、首を傾けて彼をちらりと見た。固まっている。
「………」
「(どうしたんだろうな)」
「………」
「(…誰か来ないかな…)」
「………」
「(ていうかあんたもいつまで固まってんだよ!)」
「………」
「(うわぁどうしよう)」
彼はずっと、放置しておけばそれはもう永遠に固まっているように、あたしには思えた。
あたしはどうしようもなくて、後ろで手を組みながらさりげなくその様子を窺った。
彼は。動かない動かない動かない。まだ、動かない。雲がのんびり窓の外を動く。
日に焼けたくなくて、あたしは少し窓から内側に移動した。リーマス君に近くなった。
だからどうした。冷や汗なのか暑いせいなのかよく分からない汗がダラダラと流れてくる。
声を掛けるべきか、否か。
あたしの小さな頭は今そのことでいっぱいだ。時間を見ようとして、腕時計を忘れたことに気付く。
腕を持ち上げたままの姿勢で、あたしも固まった。動いたら気付かれそうな気がしたからだ。
腕をじっと眺める。勿論、そこに腕時計は無い。馬鹿みたいだ。でも、どうすれば。
やばい、死にそうだ(暑いし)
「あああ…あのっ!」
「うん」
「えっ」
「え?」
「…えっ、いや、あの」
あたしはとてもとても頑張って(いやぁほんと死ぬかと思った)声を掛けた。彼は普通だった。
ていうかいくらなんでも、普通すぎると思う。返事がおかしいよ。「うん」って、何だ。
リーマス君は不思議そうな顔で、今度はあたしが微妙に固まっていた。
「いや、どうしたのかなあと、思って(何故言い訳をしているんですか自分は)」
「ああ、僕?」
「うん」
「えっと」
えっと?何だ、それ。
良いけど別に何でも。だって目の前でリーマス君が喋っているんだから。良いけど。
あたしは何だか言葉を探している風な彼の上で視線を泳がせた。
リーマス君は手がキレイですねと言いたかったがそれでは明らかに変態のようなのでやめた。
「別に、なんでもないよ(にっこり)」
「は!?」
「うん(にっこり)」
「え、うん、そっか。なら良かった…」
どことなく、どことなく腑に落ちないものを感じた。
良いけど別に何でも。その時にはもうあたしは彼の笑顔にやられていたから、何でも良かった。
薄笑いを浮かべながら、あたしは、それじゃ、といって足早に立ち去った。
浮かれすぎて寮に帰るまでに3度ほど角で小指を打った。
◆
「やっぱ、うん、そうだ」
「はぁ?」
「君たちの思い違いだね」
「あっそうそりゃあ良かったな」
「何その棒読み。最低。シリウス最低」
「ジェームズお前裏切る気か」
「シリウスよりリーマスのほうがモラリストだから」
「いやお前意味分かんねえよ」
「馬鹿だなあもうシリウスって!」
「うざいぞお前!」
「むしろ逆方向勘違い…」
「は?何リーマス」
「ていうかお前なんでひとりでうっとりしてんだよ。キモイぞ。加われよ会話に」
「僕はそんなチープな会話に加わりたくないから」
「ほらーシリウスのせいだ」
「いや俺はジェームズの喋りが世界最高級にチープだと思うぞ」
「どっちもだよ」
「あっそう…」
「あれなんか僕否定できないんだけど!」
「そりゃあな」
「うるさいよシリウス」
「ぎゃーリーマスが怖い!」
「何でお前が騒ぐんだよジェームズ」
「えっ?いやそれは君の心の代弁」
「勝手なことをするな」
「はあ…」
何の話だろうか。と、あたしは思いながら教室の壁の影から出れずにいた(怪しい)。
彼らの意味不明な会話を聞くのが、あたしはとても好きだった。
中でもリーマスのいつも勝手なよく分からない台詞の意味を理解しようとするのが好きだった。
惚れた弱みって、やつだろう。
とにかくあたしはもうちょっと彼らの会話を聞いていたいなあと思って影にこっそり立っていた。
これってこないだと微妙におなじパターンじゃないだろうか。あたしって、何だ。変態か。
でもこういうのも恋する乙女の一つのあり方、だと良いなぁ、と思う。
そんなあたしの至福の時間は後ろからの訝しげな声にあっさりと破られた。
「…、何してんの」
「ぎゃー」
「どうしたのよ」
「ええええべっ別に」
あたし急いでるの次はグリフィンドールと合同授業だからねえあははははと言って置いてきた友人だった。
少し怒ったような顔をしている。無理も無い。我ながら意味不明だった。
あたしは薄笑いを浮かべて、ごめんと呟いた。それよりも、これはもしかして彼らに気付かれただろうか。
「さん?」
「あ、や、やあリーマス君(ぎゃーやっぱり!)」
「やあって何よあんた…」
「だーもう分かってるの変なのは!突っ込まないでおいて!」
「おもしろいねさん」
「ああ、はあ、どうも…(どーゆー意味だ)」
「…ふうんそうなの」
「えっ何っ」
「別に何でもないわよ。席取っとくから」
「あたしも行くよ」
「良いわよ来なくて」
「な、何故…!」)
「良いわよ来なくて」
「ああ…」
◆
「怒られてしまったよ…」
「そうみたいだね。どうして?」
「いや、さっき置いてきちゃったから、かな」
「ふうん…どうして?」
「えっ、あ、それはちょっと、忘れてて」
「あの子を?」
「うんまあ(嘘ですが)」
「ふうん、そっか(にっこり)」
リーマス君は微笑を絶やさないところもステキだ。ああやばいよ。何だかもうくらくらしてしまう。
あたしは曖昧に笑った。微笑んでいるつもりだったが、微妙なところだ。
ふと目を向こうにやるとジェームズ君とシリウス君が見えた。興味津々な顔をしている。
「ねえ」
「あ、うん」
「さっきの話、聞いてた?」
「さ、さっきの話って…」
「勘違いだとかそのへん」
「(ああすごい最初だそれ)」
「聞いてたんだよね?」
「はいもうばっちり。ごめんなさい…ええと、出るタイミングを見失って…」
「良いんだよ(にっこり)」
「そ、そう?うん、どうも」
「それであれね」
「うん」
「さんのことだよ」
「え」
酸素の無い水に放り込まれたフナのような顔で、あたしはリーマス君をまじまじと見た。
あたしのこと?何で?いやそれはまあ正直なところ、嬉しいけれど。何で?
だって多分昨日喋ったのが初めてだし。今日はこんなに喋れて嬉しいな。ああそっか、
「あ、昨日のこと?勘違いって」
「もっと前」
「え」
分からない。そんなはずは無い。あたしが彼に関する事を忘れるなんて、ありえない。
「嘘だ…」
「えっ何で」
「いや、べ、別に根拠は!(言えません)」
「ふうん…」
「ほんとだって(嘘ですが)」
リーマス君はにこりと笑って、後方のシリウス君とジェームズ君を指差した。
2人がびくりと固まる。あたしはそれを見て少し笑った。
「あの2人が、君が僕のことを睨むって言うんだ」
「え!?」
「そんなことないよね?」
「うん、とんでもない(見てるだけです)」
「でも、たまに睨んでるから嫌われてるんじゃないか、ってしつこいんだよ」
「そうなんだ…(ていうかばれてたんだな…!)」
「それで、もし嫌われてるんだったら僕が廊下で困ってても声は掛けないだろうってコトで昨日実験を」
「ああ、昨日」
「うん」
「あ、それで昨日」
「そう、ごめんね」
「ううん、良いよ」
あたしは笑ったが、何だか、少し悲しかった。それだけのことか、と思った。
勿論、これはあたしにとってはすごくすごく大きな出来事だけど、彼にはなんでもないことだ。
今日と昨日彼とこんなに喋れたのは嬉しいけれど、もう二度とこんなことはないだろう。
そう思うと、悲しかった。とても。
「さん?どうしたの?」
「え?ううん、なんでもないよ」
「そっか」
「それより、ごめんねあたしこそ」
「どうして?」
「睨んでるつもりは、無かったんだけど」
「ああ、うん、僕はそうだと思ってたよ」
「そ、そっか…」
やっぱりだめだ。くらくらする。あたしはどうしようもなくて、泣こうかと思った。
後で、独りで、部屋とかで。食堂に行かなければ会うことは無い。同じ寮じゃなくてよかった。
よかった?嘘だ、良くない。本当は、もっと話したいのだ。
逃げているばかりじゃいけない。恋する気持ちなんて、とってて価値のあるものじゃない。
とってるんじゃなくて、ぶつけなくちゃ、いけないだろう。
自分の保身ばかり考えていたら、それこそ変な人になってしまう。
「今度は、あたしが話しかければ、良いんだよ…」
「何?」
「な、何でもない!それよりもう行かなくて良いの?」
「別に、授業が始まるまでは平気でしょ」
「ああうん、だよね…(何であんなことを言ったんだ自分)」
「僕と喋るのは迷惑?」
「いいえ、全然!」
「そっか、良かった(にっこり)」
「え、あ、うん…!」
「それにもう1個、聞きたいことがあるし」
「え、何?」
リーマス君は楽しそうに微笑んだ。あたしも嬉しくなった。
彼のこういう楽しんでいる笑みは、どことなく、意地悪だ。それもまた好きだ。
惚れた弱みって、やつだろう。
「見てただけだよね?」
「え?」
「睨んでたんじゃなくて」
「え」
「ね?」
「ええと…」
あたしは口をパクパクさせながら顔を引き攣らせた。
何だこれ。どう答えれば良いんだ。ちょっと待って。くらくらする。
これで見てましたとか答えようもんなら、それって、何か、あれだよ。
「ええと…」
「見てただけだよね?」
彼はにっこりときれいに微笑んだ。優しくて、意地悪な笑み。
ああだめだ。あたしはその笑みにやられてしまって、嘘をつく暇が無い。
「うん」
「分かってたよ」
「ああ…そう…」
「僕も見てたから」
「え」
酸素の無い水の中に放り込まれたフナのような顔で、あたしは。
040731(どうしたよ自分)